徒然乃記

愛猫の事、日常の些細な風景、そして仕事(建築)の事等を徒然に綴っていきたいと思います。

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ストレス

 昨年は体調がすぐれなかった。年明けから胃がもたれてすっきりしない。胃に負担が少ないように、和食を中心に食べるようにしてみたけど、あまり効果がなかった。これまで胃の具合が悪くなると、食事を抜いたり、胃薬を飲んだりして対処してきた。だけど何をしてもいっこうに回復の兆しがなく、もしかしたら悪い病気ではないだろうかとしだいに不安になってきた。そろそろ限界だと思った。

 最近では紹介状がないと総合病院には行けなくなった。それに総合病院は診察を待つ時間が長くて、体力的にキツイ。そこで昨年、町内に新しく開業した病院に行った。幸いにも、そこには消化器科があった。問診票を記入し終えると、心の準備をする間もなく名前を呼ばれ、緊張で診察室に向かう足がもつれた。
「どうしました」
「胃が重たいんです」
「ちょっと診ますから横になってください」
ドキドキしながら、診察台に横になった。

「ここ痛いですか、ここはどうですか」
と、触診は続くが特に痛みもない。もしかしたらそんなに悪くないのかもと期待した矢先、
「検査しましょう」
という声がした。
「検査ですか。人間ドックでバリウムを飲みましたが・・・」
と、焦って頓珍漢(とんちんかん)なことを言うと、
「バリウムは結構被爆するので体に良くない。僕はそういう検査はしません。内視鏡による検査をします。鼻からカメラを入れるので今までの胃カメラよりも楽ですよ」
と言う。
“胃カメラもしたことないのに、いきなり鼻からかぁ”
躊躇している私の様子を見て、先生はおもむろに立ち上がった。案内されたのは待合室にあるポスターの前。鼻から管を入れた若い女性が平気な顔をしていた。心なし微笑んでいるように見えた。仕方がない、私は覚悟を決めた。

「胃がゴツゴツしています。慢性胃炎ですね。胃壁からの出血の跡も見られます。これは十二指腸です。入り口の所は丸いのですが、ちょっと変形しています。十二指腸潰瘍が自然に治った跡ですね。」

 慢性胃炎の原因としてはストレスや飲酒が考えられるそうだ。私は飲酒しないので、たぶんストレスが原因なんだろう。
思いあたる節はあった。一昨年前は、町内の役員が順番で回ってきて何かと忙しかった。年中行事も多くて、慣れない仕事に戸惑った。だけど何と言っても一番の理由は、親しい人達の病気だ。普段から心配性な身内から毎日のように電話がかかってきた。それも、真夜中だったり、明け方近くだったり、時間帯はお構いなしだった。体のリズムが狂ってしまったのか、いつしか眠れなくなった。寝不足はボディーブローのようにじわじわと体にダメージを与えていく。神経が磨り減っていくのが分かった。
私はストレスに対する耐性が弱い。若い頃(20代前半)、自律神経失調症になったことがある。(もしかしたら十二指腸潰瘍の跡は、その頃のものかもしれない)だから気をつけてはいたんだけど・・・。
友人と一緒に行くカラオケは、ストレス解消に有効だった。だけどその友人も体調を崩してしまい、その病状はかなり深刻だった。彼女の場合も原因はストレスだ。

 今月、内視鏡の検査をすることになっている。まだ薬を飲んでいるけど、昨年に比べてずいぶん楽になった。でもまだ私の大好きな餃子は食べられない。

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人生いろいろ!

時々想うことがある。所長の人生って、何か大きな力によって、建築へと導かれてきたのではないかって・・・。

高校受験の時、中学で生徒会長をしていたこともあって、担任の先生からは進学校の普通科を薦められたようなんだけど、浜工(浜松工業高校)の建築科に進学する。当時は特に建築への想いがあった訳ではないみたいだ。本人は絵を描いたりすることが好きだったので、デザイン科に進みたかったようなんだけど、「デザインでは飯が食えない」という周囲の意見もあり、建築科へと進んだ。兎に角、手に職を付けたいと希望しての進学だった。

端午の節句が近づき、空が鯉のぼりで賑やかになる頃、
「子供の頃、鯉のぼりも五月人形もなかったなあ。まあ、社宅に住んでいて、周りもそうだったから、それが普通だと思っていたんだけど・・・。そういえば姉貴には雛人形があったんだよなあ」
って、所長は眩しそうに空を見上げる。たぶんその頃から親に負担をかけてはいけないと思っていたのだろう。そんな彼は自慢の息子。未だに母(義母)は、所長が高校の入学式で新入生を代表してスピーチしたことを嬉しそうに話す。

就職の時にも、どんでん返しが待っていた。早々と地元の有力な設計事務所に就職が内定していたにもかかわらず、直前でドタキャンされ、慌てた学校側から紹介されたのがM住宅だった。その会社で出会ったのが、小池創作所の所長をしている小池さん。だから所長と小池さんとは30年近い付き合いになる。小池さんは独特の嗅覚で、時代を読み取り、建築をリードしていた。そんな小池さんが企画して、東京芸術大学の奥村先生に建売住宅の設計を依頼した。その建築に触れた時の衝撃は今でも忘れられないという。「“目から鱗が落ちる”とはまさにあの時のようなことを言うんだろうなあ」と話していた。建築に魅せられ、建築を生涯の仕事にしようと決意した時でもあった。

もし高校の普通科に進んでいたら、もし内定していた設計事務所に就職していたら、今の所長は居なかっただろう。器用な人だから、また別の道を歩んでいたかもしれない。

ちなみに余談だが結婚式では、新郎自ら着流し姿で、島倉千代子の人生いろいろを熱唱した。

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